すっかり更新が途絶えて3ヶ月余にもなるか。
まあ3月の“アレ以来”、放置しているようなもんだが。
そのうち再開しますので、暫時お待ちください。
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世事に疎いこともあってか、基本的に関心事がない。というか、それだから世事に疎いのかも知れない。
マイブームのような瞬間最大風速が吹き荒れることもあるが(例えば今はラーメン)、人生の大半は凪だ。
ああ、いやいや、人生はベテラン船乗りでも酔いまくりそうな荒波なのだが、ことが興味とか関心とか楽しみに及ぶと常に「凪」。いやもうベタ凪。
そんな私だが、本を読むことだけは続けられている。
これは仕事柄、活字に触れていないとヤバい…という面もあるのだが、元来活字中毒ではある。
なので、ブログを何とか続けられそうな題材として読書記録をメインに記すことにした。
まあ、そこはそれ、ラーメンのことを記したり、映画のことを記したり、自由気ままにやっていくつもりではあるが。
しかもこれ、人生初のブログ。タイトルは「胡乱愚」。
胡乱で愚かなブログという意味を込めてみた。
閑話休題。
自分にとっての読書とは、プロセスが第一義。
つまり、オチとか構成とか作家の格とか文章力とかよりも、読書の過程が楽しい本が自分にとって素晴らしい本であるということ。素晴らしい本に「なってしまう」ということ。
もちろん物語が面白くて、とか、構成が素晴らしくて、とかで、プロセスが楽しい場合もあるが、それよりももっとパーソナルでメンタルな部分。
だから読み始めないと判らない。そしてそういう本に巡り会うと、頁を捲る指がいちいち止まるようになる。
面白すぎて、脳内がワクワクしすぎて、痛痒いような心地好い苦しみをおぼえ、「ちょっと休憩」となる。
傍目にはつまらなくて中々読み進められてない…ようにも見えるかも知れない。それくらいゆっくり読んでしまう。プロセスが楽しいから早く終わらせたくないのだ。兎に角、矢鱈滅鱈、中断する。
そういう本を読んでいる最中は、仕事とか食事とか移動とか、他の物理行動にも影響を及ぼす。もちろん、それらすべてが一様に楽しく感じるようになる。
ひとつの本によって日常が明確になるというか、「ああ、いま俺って歩いてるよなあ」みたいな。些細だったり、当たり前だったりの行動行為が明確になる。仏教標榜者たる自分にとっては、特別な事象は要らない。ただ日常あるのみで十分。だからこそのプロセス第一義なのだ。
この時間の密度は、2時間あまりが強制的に流れていく映画などではけして得られないのだ。
…とまあ、早くも所信表明で駄文ってしまったが、今後もそういうプロセスが楽しめる本たちと巡り会っていきたい。